クラレイ株式会社の創業者、沖圓一社長の出身地、兵庫県・淡路島。 小倉の地に、クラレイ株式会社が誕生した歴史には、淡路島特産の玉ねぎが深くかかわっています。
戦前、戦後の混乱期を経て、沖圓一社長は1952年(昭和27年)、クラレイの前身である食料品問屋、「東和水産株式会社」を立ち上げました。本社は大阪市此花区。
そこで地域に密着した製氷と、淡路の玉ねぎを主体とした集荷、配送の物流基地としての冷蔵倉庫建設を思い描いていた沖圓一社長は、北九州市(当時は小倉市)の青果、魚市場関係者から小倉市に冷蔵倉庫を建設しないか、との打診をもらいます。
沖圓一社長は、東和水産の社名を「小倉製氷冷蔵株式会社」と変更し、本拠地を小倉市に移転することを決意します。1954年(昭和29年)のことでした。
現在の北九州市小倉北区浅野の1,500平方メートルの敷地に、鉄筋コンクリート2階建て、2298平方メートルの浅野工場を建てました。
約3,000トンが収容できる冷蔵倉庫は、当時国内有数の大型営業冷蔵倉庫でした。
当時のインドのデサイ首相が菜食主義者という理由で蛙の捕獲を禁止するなど、さまざまな困難も発生。
紋甲イカ、ロブスター、太刀魚などに商材を増やしながら奮闘しました。
異国の地での経験で、クラレイの加工のポリシーは決まりました。
すなわち、「良い製品は良い原料からしか出来ない」ということでです。
インドの経験はその後の「北米プロジェクト(ズワイガニ買い付けプロジェクト)」に生かされ、ズワイガニはクラレイを代表する商品に成長しました。